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東京地方裁判所 昭和63年(行ウ)220号 判決

原告 稲本秀夫

被告 渋谷労働基準監督署長

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

一  原告

被告が原告に対し昭和五九年一二月二七日付けでした労働者災害補償保険法による障害補償給付の支給に関する処分を取り消す。

二  被告

主文と同旨

第二事案の概要

一  当事者間に争いがない事実

1  事故の発生

原告は、元個人タクシー運転者として業務に従事していたが、昭和五八年五月二二日午前九時四〇分ころ、原告方マンション車庫内において、右業務に従事して、タクシー車両の右ドアを開き、屈みこんでステップ周辺を清掃し、立ち上がろうとして身体の向きを変えたところ、強風のためドアが閉まり、ドア上端の角が左眼を強打し、これにより左眼球破裂、涙小管断裂等の傷害を受けた。

2  治療経過

原告は、右事故の日から同年九月二七日まで東京慈恵会医科大学附属病院に入院し、同月二八日から昭和五九年五月一二日まで通院し、症状が固定した。

3  後遺障害

原告には、左眼失明(障害等級八級一号)のほか、左眼瞼下垂及び左涙小菅断裂による流涙の後遺障害がある。

4  本件処分

原告は、障害保険給付請求書を被告に提出し、被告は、障害等級八級と支給決定し(以下「本件処分」という。)、昭和五九年一二月二七日保険給付をした。

二  争点についての当事者の主張

本件の争点は、原告の後遺障害が八級にとどまるか七級に該当するかである。

1  原告

(一) 後遺障害の内容

(1) 原告は、左上眼瞼下垂が常時瞳孔領を概ね覆う状態にあり、一眼のまぶたに著しい運動機能障害を残す(障害等級一二級二号)場合に該当する。

(2) 原告は、左涙小管断裂により常時流涙があり、特に人との対話中は流量が増大し、五、六分毎に拭き取らなければならない状態であり、原告が従事している対人サービス関係の軽労働においても重大な障害となっており、精神的、肉体的苦痛は極めて重く、著しい調節機能障害を有する(同一二級一号相当)。

(3) 更に、原告は、流涙に伴うただれや眼底の充血等の異常により、常に左眼全体の痛みが継続し、右眼も、眼精疲労による痛みが継続し、眼球の底に痛みをもち、更に右後頭部に痛みがあり、外出時や疲労時には特にこれが強くなり、めまいを生じる状態となっている。また、原告は、左眼の失明のため、右眼視力も衰え、平成元年七月四日測定時〇・二であった。このような頑固で強烈な苦痛を伴う神経症状は、原告に耐えがたい苦痛を与え、公私の生活に重大な障害となっており、低く評価しても局部に頑固な神経症状を残すものというべきであり、障害等級一二級に該当する。

(二) 労働者災害補償保険法(以下「労災法」という。)は、労働者が業務上等の事故に遭い負傷、障害等を受けた場合は、これらに対し迅速かつ公平な保護を図り、労働者の福祉の増進に寄与することを基本理念としており、労働者の障害の程度、内容を認識し、これに対しいかなる評価を与えることが公平な保障といえるかは、社会の実態、実状をふまえ、時代性、地域性、社会性を反映した有機的、合理的観点より考慮されなければならない。労働者の障害を公平に保障しようとすれば、労働者が帯有する障害を実態に即し、全体として有機的総合的に評価しなければならない。労働者災害補償保険法施行規則(以下「労災規則」という。)は、障害認定の一つの目安指針であり、これを基準に有機的、弾力的、合理的な運用がされ、妥当な結論が導かれなければならない。そして、原告の前記各後遺障害をみると、左眼失明のみならず、左眼瞼下垂、涙小管断裂による流涙、更にこれらによる神経症状があり、これらを総合評価すれば、原告の前記後遺障害は、障害等級七級に相当する。

2  被告

(一) 本件処分時における原告の残存する障害は、左眼の失明(障害等級八級一号)、左眼瞼下垂、涙小管断裂による流涙の三障害である。

(二) 原告の左眼瞼下垂は、本件処分当時、左瞳孔領を完全に覆う程度とは認められず、軽度であり、障害等級に該当する障害とは認められない。そもそも、左眼の失明がある場合に、重ねて左眼まぶたの運動障害について保険給付を行なうことは許されない。したがって、障害等級一二級二号に該当しない。

(三) 涙小管断裂による流涙は、障害等級一四級(準用)を超えるものではない。

(四) 眼球の痛み等について

本件処分当時原告に眼球の痛みはなかった。仮に、原告の症状が本件処分後経年変化により増悪し、より高い等級の障害に該当するに至ったとしても、そのことは本件処分の適法性を左右するものではない。

(五) したがって、原告に残存する障害の程度は、左眼視力障害八級と左眼流涙一四級であり、労災規則一四条二項の規定により重い方の身体障害の該当する障害等級によることとされているので、障害等級八級(併合)となる。

第三争点に対する判断

一  労災法に基づく障害補償給付は、障害補償の対象となる障害の程度に応じて行なうこととされており(同法一五条)、その対象とすべき身体障害の程度は、障害等級表に定めるところによることとされている(労災規則一四条一項)。

そして、障害等級表に掲げる身体障害が二以上ある場合は、重い方の身体障害の該当する等級によることとし(同条二項)、一三級以上に該当する身体障害が二以上ある場合は重い方の身体障害の該当する等級を一級繰り上げ、八級以上に該当する身体障害が二以上ある場合は重い方の身体障害の該当する等級を二級繰り上げ、五級以上に該当する身体障害が二以上ある場合は重い方の身体障害の等級を三級繰り上げることとなっている(同条三項、同条二項及び三項による処理を、以下「併合」という。)。

また、障害等級表に掲げるもの以外の身体障害については、その障害の程度に応じ、障害等級表に掲げる身体障害に準じてその等級を定めることとされている(同条四項、以下「準用」という。)。

二  左眼瞼下垂について

障害等級表一二級二号の「まぶたに著しい運動障害を残すもの」とは、開瞼時に瞳孔領を完全に覆うもの又は閉瞼時に角膜を完全に覆い得ないものをいうと解するが相当である。

これを本件についてみるに、乙第一号証のうちの昭和五九年五月一二日付け診断書(原告が入院した東京慈恵会医科大学附属病院医師谷内修作成)並びに関東労災病院医師南波久斌作成の昭和六一年四月七日付け意見書(乙第六号証)及び診療録(同第八号証)には、原告に左眼瞼下垂があるとされているが、いずれもその程度は明らかでない。また、平成元年一二月及び平成二年一月当時の原告の左眼瞼下垂が、概ね眼球を全部覆う程度であることが認められる(平成元年一二月二一日あるいは平成二年一月一八日当時の原告を撮影した写真である甲第二号証、甲第一号証(谷内修医師の同月一三日付け診断書)、第三号証(同医師の回答書)及び原告本人尋問の結果)が、他方、右の眼瞼下垂は、上眼瞼挙筋の機能低下及び眼球の萎縮により時の経過によって増強された可能性があることが認められ(乙第一〇号証の三)、右事実に照らし、原告の現在の眼瞼下垂の程度が本件処分時においても同程度であったものと推認することができず、他に本件処分当時の原告の眼瞼下垂が瞳孔領を完全に覆うものと認めるに足りる証拠はない。(乙第三号証の東京労働者災害補償保険審査官作成の決定書には、原告の左眼瞼下垂が障害等級一二級の二に該当するかのような記載があるが、原告の当時の左眼瞼下垂が瞳孔領を完全に覆う程度であったのか必ずしも明らかではないから、右決定書は、本件処分当時の原告の左眼瞼下垂の程度を認定する証拠とはならない。)

のみならず、原告は、右後遺障害が障害等級一二級二号に該当すると主張するが、同号でまぶたに著しい運動障害を残す場合を後遺障害としたのは、目がものを見るという本来の機能との関係において価値が認められるまぶたの機能の喪失を填補するためであるから、仮に、本件処分時に原告に瞳孔領を覆う程度の左眼瞼下垂があったとしても、原告に左眼の失明(視力は〇である。)がある以上、これとは別に更に左眼瞼下垂を後遺障害として評価することはできないと解するのが相当である。

したがって、原告の左眼瞼下垂が障害等級一二級二号に該当すると認めることはできない。

三  涙小管断裂による流涙について

1  原告は、右流涙のため特に対話中は流量が増大し、五、六分おきくらいに頻繁にこれを拭き取らなければならないほどであることが認められる(原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨)。

2  ところで、流涙については障害等級表に列挙されていないが、これを清拭する煩わしさの程度によっては、障害等級表に列挙された障害に準じて判断すべきであると解される。

原告は、右流涙の程度が障害等級表の一二級一号に該当すると主張するが、同号の「眼球に著しい調節機能障害を残すもの」とは調節力(明視できる遠点から近点までの空間をレンズの度をもって表したもの)が通常の二分の一以下に減じた場合を、また、「眼球に著しい運動障害を残すもの」とは眼球の注視野の広さが二分の一以下に減じたものをいい、また、同等級表一三級には、半盲症、視野狭さく及び視野変状があるが、原告の前記流涙の程度は、これらと比較するとこれらに準じるものと認めることはできない。原告の前記流涙の程度は、障害等級表の一四級の「一眼のまぶたの一部に欠損を残し、又はまつげはげを残すもの」、又は「局部に神経症状を残すもの」程度のものと認められ、障害等級一四級を準用するのが相当であると解される。したがって、原告の右主張は採用することができない。

四  眼球の痛み等について

1  原告には、現在、左眼の痛み、右眼の痛み、特に疲労したとき等の右後頭部痛があり、そのため就寝は早くするが、原告は、昭和五九年四月ころから日個連東京都交通共済協同組合に勤務し、個人タクシーの事故の賠償の処理に関する事務を担当し、午前九時から午後五時三〇分まで右職務に従事している(原告本人尋問の結果)。しかし、原告の右障害が、労働に対して著しく支障を及ぼしているとまで認めるに足りる証拠はなく、労働に及ぼす影響の程度を確定しうる適格な証拠はない。なお、乙第一号証の診断書、乙第五号証の東京労災病院医師野口順治作成の昭和五九年一一月一九日付け意見書及び前掲乙第六号証の意見書には、いずれも右の痛み等の記載はなく、また、前掲乙第八号証の診療録には、右眼球については異常がない旨の記載があるが、両眼の痛み等の記載はない。このように医師の診断書等では、原告に眼の痛み等が存したと認定することはできず、本件処分当時にも右のような痛み等があったのか、必ずしも明らかではない。本件処分に対する再審査請求の理由として、原告は、涙を拭うため夕方になると眼球及び目の中全体が痛くなると主張していることが認められるにすぎない。

2  したがって、本件処分時に原告の主張する前記の痛み等が存在したものか確定はし得ないが、仮に本件処分当時存在したとしても、その程続が障害等級表一二級一二号の「局部にがんこな神経症状を残すもの」に該当するものと認めることはできず、障害等級表の一四級程度(局部に神経症状を残すもの)であると認めるのが相当である。

3  その他、原告に前記事故と相当因果関係のある後遺障害を認めるに足りる証拠はない。

五  以上認定した原告の障害をみると、左眼失明のほかにも障害等級一四級相当の涙小菅断裂による流涙が認められる(左眼瞼下垂は、障害等級表に該当する障害とは認められない。)が、併合により最も重い方の障害である左眼失明の八級に該当すると認めるのが相当であり、これを超えて障害等級表の七級に該当すると認めるのは相当でない(仮に、本件処分当時原告に前記の眼球の痛み等があったとしても、障害等級一四級程度であるから、右認定を左右するものではない。)。前掲乙第六号証には、原告の障害としては左視力障害、流涙、眼瞼下垂があるとしたうえで、併合し七級が望ましいとの記載があるが、その根拠は明らかではなく、以上認定したところに照し、七級が望ましいとの右記載を採用することはできない。

原告は、失明だけの後遺障害の場合と原告のようにそのほかに障害がある場合で同一の障害等級となるのは労災法の趣旨からいって不当であると主張する。しかし、ある後遺障害のほかに後遺障害がある場合に、必ずより上位の障害等級に該当するということになれば、障害等級全体の序列を崩すことにもなりかねない。障害が複数ある場合、原則として前記の併合の方法により処理されることに合理性があるものと解される。そして、原告の前記後遺障害の程度を考えても、併合による処理の結果障害等級八級にとどまることが不合理であるということはできない。

したがって、原告の右主張は採用することができない。

六  以上によれば、原告の後遺障害を障害等級八級と認定した本件処分は適法である。

よって、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 竹内民生)

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